(3)江戸時代の男の子の名前

(1) 江戸時代の子どもの名前は?

 

 どうも明治維新のときには、子どもに[郎]がつけられることが多かったようです。それでは、[郎]はいつから多くの子どもの名前につけられるようになったのでしょう。それを知ることができる資料はないでしょうか。

 

 とっておきの資料があります。和歌山県紀の川市の粉河(こかわ)にある王子神社には『名つけ帳』という巻物が伝わっているのです。そこには1478年から現在まで1500人の男の子とその父親の名前が載っています。その神社では、毎年正月になると、その地区で新しく生まれた子のお祈りをして、その名前を記すのです。その風習は今も続けらています。また、その「名つけ帳」は、国の文化財にもなっています。

 

 「名つけ帳」は、幅30cmですが、長さは70mを越えます。毎年、毎年、紙をつぎたし、書きたしているのです。

 

 これの重要さを発見したのは宇野脩平氏で、宇野氏によって「名つけ帳」に記されている名前を全て活字化されています(*1)。そのすべてをデータベース化して、分類してみました。子どもの名前は、どうなっていたでしょう。

 

*1  和歌山県粉河町編(1971)『宇野脩平追悼録』

 また「名つけ帳」については、宇野脩平(1957)「紀州若一王子の黒箱」『史論』5 (東京女子大学史学研究室編)に詳しく書かれている。また坂田聡(2006)『苗字と名前の歴史』吉川弘文館にも、坂田氏の「名つけ帳」を使った研究について詳しく書かれている。

 

 (2) 「名つけ帳」を見てみよう。

 

 右は、「名つけ帳」の最初の部分です(*1)。

は[郎]という文字です。[郎]はいくつくらいあったでしょう(大文字は子ども(男子)、小文字は父親)。

 は37ありました。この写真の中には父親名と男子名の総数は63人分ですので、半数は「郎」だったのです。

(*1 坂田(2006)掲載の写真を元に、井藤が活字化簡略化した)

 

 (3) 名付けられた男子のうち[郎]はどのくらいいるか?

 

 下は「名つけ帳」に1510年から1864年までに記されていた1111名の男の子の名前から、[郎]のつく名前の割合を示したものです。350年間にわたって、[郎]のつく名前が30から40%ほどいます。その割合は、前に示した「明治維新直後の[郎]の割合」と同じです(注:『名づけ帳』の最初の部分は表記が一定ではない。そこで最初の152組の名前は省き、1510年分:No,153から統計として利用した)。

 

 

 これは、この地方だけの現象でしょうか。それとも全国的なものなのでしょうか。

(4) [ー郎]以外の名前は?

 

 右は[ー郎]以外の名前も加えて書いたグラフです。初期の頃は、幼名と成人名が別な人が多かったのが、後半になると、幼名と成人名の区別がなくなってきます。それで「その他」が増えてくるのです。

 

  紀伊粉河の「名つけ帳」では、江戸時代はずっと男子名の40%ほどに[郎]がついていました。他の地方でも[郎]の割合は

同じなのでしょうか。

 

(5) 宗門改帳から男子名の変遷を見る

  江戸時代にも現在の「戸籍」に当たるものがありました。「宗門改帳(*)」です。それは、江戸時代の庶民の名前を知ることができる貴重な資料です。私が使った「宗門改帳」は以下の通りです。

・「岐阜県川辺町(*1)」 1671①, 1774③,  

・「神奈川県伊勢原市(*2)」1804

・「愛知県岡崎市旧八町村(*3)」1733②

・「  ゝ   旧土呂村(*4)」1787

  この5つと、紀伊粉河「名つけ帳」の数値から「男子(14才以下)の総数にしめる[郎]の割合」をグラフにすると次のようになります。

 

*1 『川辺町史 資料編 上巻』(1984)「188栃井村宗旨改帳」「190下川辺村宗門人別改帳」PP.803-899 (インターネットで閲覧可)

*2 神崎彰利編(1995)『堀江文書 第2巻中・近世(1)』PP.446-456小森書房、現在の伊勢原市西富岡,堀江家に残された文書

*3   『新編 岡崎市史 史料近世上』(1983)「155 八町村宗門改帳」 PP.804-820 (旧八町村は、現在の八帖町あたり、八丁味噌で有名)

*4             ゝ             「156 土呂村宗門改井五人組帳」PP.820-843(旧土呂村は、現在のJR岡崎駅の南)

 男子名における[郎]の割合は、だいたい30から40%ほどです。明治維新以前も[郎]は多かったのです。というより「名前の選択肢が少ない中で[郎]がいちばん一般的だった」と言えるでしょう。

 

(6) [ー郎]以外の名前は?

 次は、大人の名前も見てみましょう。父親たちの名前も、[郎]が多いのでしょうか。ただ明治維新以前の大人の名前には少しやっかいな問題があります。名前を変えることができたのです。

 たとえば「源義経」は、wikipediaで見ると「牛若丸」「九郎」「判官」など9つの名前が列記されています。(中世の「人名の変化」については坂田2006が詳しい。参照→⤵️

 

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