「宗門改帳」とは

●以下2冊より引用します。

『大辞林』(2008)「宗門改」より

・江戸幕府がキリシタン信仰を禁止するために設けた制度。家ごとに仏教信者であることを檀那寺に証明させたもの。寛永17年(1640)幕府直轄領に宗門改役を置き、宗門人別帳を作り、その後、諸藩にも実施させた。明治6年(1873)に廃止。宗旨人別改。

 

速水融(1988)『江戸の農民生活史 宗門改帳にみる濃尾の一農村』NHKブックス(pp.29-30)より

 ・ところが、このキリスト教禁止の政策は、思わぬ副産物を生んだ。

 ・日本には、一人のキリスト教徒もいてはならず、全員が仏教徒でなくてはならなくなった。

  この大方針を実現すべき実施されたのが、宗門改である。

 ・日本の住民一人一人について、彼らが仏教徒であるという証明を提出させたのである。

 ・その史料的価値は絶大であり

 ・歴史人口学の材料として、これ以上のものは望めない良質のものである

 ・同時に、社会人類学や歴史民勢学の材料として十分利用しうるものである。

 ・[最古の宗門改帳タイプの資料は、1634年]

 ・[全員の年齢が記載されるようになるのは、1736年以降]

 

●びっくりしたこと

 1671年の「栃井村宗旨改帳」には、すべての家族について、次のように書かれていました。

「‥‥‥先年よりキリシタン御 穿鑿(せんさく)かかり申す筋目のものハ、一人も無 ござそうろう」

 しかも、5つの家族ごとに「五人組」の組織についても書かれているものも多くありました。嫁についても、親がどこどこのだれで「キリシタンでない」とも。

 本当に、江戸時代は「管理社会」であったことを痛感しました。しかしそのおかげで貴重な資料がたくさん残っているわけです。