1『東京府 公立校 下等小学 卒業大試験優劣表』
右を見てください。『明治10年12月東京府 公立校 下等小学 卒業大試験優劣表』と書かれています。
「学制」は、明治6(1873)年から全国的に施行され、4年生の「下等小学」が始まりました。ですから、この「卒業大試験」は、東京府で最初の「卒業試験」とも言えそうです。
ここには、男性289名、女性146名の名前が載っています。そのうち、男性名は、どんな名前が多かったでしょう。
予想
ア. ー助(夏目金之助とか)
イ. ー郎(勝麟太郎とか)
ウ. ー吉(福沢諭吉とか)
エ. その他
2[郎]ばかりが並ぶ
上の表は細かすぎて、一人一人の名前が読み取れません。そこで、最初の部分を拡大してみましょう。右がそれです。11人の名前が並び、うち9人が男性です。
9人のうち、4人に[郎]がついています。しかも3名は「3文字名」です。
さらに、表全体の男性名を分類してグラフにしてみました(→)。
289人中、165人(57%)も[郎]のつく名前なのです。
どうして[郎]のつく名前が多いのでしょう。
当時は、子どもの数が多くて、10人も子どもがいる家庭も珍しくはありませんでした。その10人をどうやって区別をつけるのでしょう。
その子たちに「一(太)」「二(次)」「三」‥‥‥と順番をつけ、そして[郎]をつけるのはわかりやすい方法です。
源頼朝、源義経には「三郎」「九郎」という別名があります。それぞれ3番目、9番目の男の子だったのです。そうした付けられた名を「輩行名」といいます。
[〜郎]は、伝統的な日本の名前です。多くの日本人につけられてきました。つまり[〜郎]は、「日本男児」の典型的な名前といってもいいのかもしれません。
3 明治維新頃の男性名には、選択肢が少なかった
さらに、この時代の名前は、似たような名前ばかりです。[〜すけ(助,介,輔)][〜吉][〜蔵]だけでなく、信一・音七のように「数字がつく名前」、久熊・寅松のように「動植物名で終わる名前」、[〜お(雄,男)]がいます。さらに「その他35人」は、こんな名前です。
〜正,義,道,積(7人), 〜城,勝,忠,平(6人), 丞,弥,也,哉(6人), 〜巳,吾(3人),〜寿(2人)
〜彦,年,寿,録,温,重,作,元,市,治,包(11人)
いずれにしても当時の男子の名づけには、今ほど選択肢が多くありませんでした。しかも、現在の男子名では、少数派になってしまった名づけ方ばかりです。
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