(1) 『平家物語』の中の男性名
中世以前の男性名に[ー郎]がついていたのでしょうか。
その手がかりを見つけました。
まずは大野敏明さんの著書『名前の由来、名付けの由来』(実業之日本社2013)には、「平家物語の「源氏揃」には多くの武士が登場します。その中から[郎]のつく人を列挙してみましょう(p.67)」とあります。
その『平家物語』を見てみると、西沢正史編(2017)『平家物語作中人物事典』(東京堂出版)には、126名の人物名が載っていました。その中に[ー郎]はどのくらいいたでしょう。
ア. 60名
イ. 10名
ウ. 3名
エ. 0名
その「目次」には
01平清盛 02平重盛 03平維盛 04源頼朝 05源義経 06木曽(源)義仲...38畠山重忠 39今井兼平
このように名前が列記されています。[ー郎]は?.........
一人もいません。どうしたことでしょう。直接、『平家物語』の本文を見てみることにします。
『平家物語 巻第四』「源氏揃」には↓
なんと52名中,32名が[ー郎]という名前でした。いったいどういうことでしょう。例えば「源義経」は『平家物語』「源氏揃」では、「九郎冠者義経」となっています。「源頼朝」は「流人右兵衛佐頼朝」です。
他の人物も「源氏揃」以外の本文中表記から見てみると
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(作中人物事典)(本文中)
畠山重忠 畠山庄司次郎重忠(巻9より)
今井兼平 今井四郎兼平(巻10より)
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どうして『平家物語』本文では、こんな長い名前になっているのでしょう。
この名前は、今ならば、「名刺のようなもの」です。
「畠山庄司次郎重忠」なら
「畠山に住む、庄園の役人の次郎、重忠」となります。
「九郎冠者義経」なら「九郎で、冠者という役職の、義経」です。
今の名刺でも、会社名、役職名が必ず書かれていますが、それと似ています。
『平家物語 巻第八』に「源仲頼」が登場します。たった一騎で敵陣に突入する場面で、こう名乗ります。
「敦実親王から九代の後胤、信濃守仲重の次男、信濃次郎蔵人仲頼、生年二十七歳。我と思はん人々は寄りあへや、見参せん」(『新編日本古典文学全集46 平家物語②』小学館1994,p.151)
まさに、現在の名刺に書かれているようなことを名乗り上げているのです。
さてさて、どうやって[ー郎]という名前は誕生したのでしょう。
上の『平家物語』「源氏揃」を見ると、こんな名前が並んでいます。
いちばん上の「宇野七郎親治」が父親です。それからが子どもで、太郎(長男)、次郎(次男)、三郎(三男)、四郎(四男)となります。当時は子どもの数が多かったので、太郎・次郎・三郎のように順番をつけておくことが便利だったのでしょう。まるで学校の名簿番号のようです。『平家物語』に那須与一が出てきますが、「与一」は[「あまり1=11番目」の男の子]という意味です。
さらに、幼児死亡率も高く、生まれても成人しない場合も多かったので、幼名としてまず「太郎・次郎・三郎」とつけておき、元服したら正式な名前をつけ加える場合もありました。
(2) 『伊勢物語』の中にも[太郎]は出てくる
平安初期に書かれた『伊勢物語』には、こんな箇所があります。
「御兄、堀川の大臣、太郎国経の大納言」(『新編日本古典文学全集12 竹取、伊勢、大和、平中物語』小学館1994, P118)
平安初期に、すでに「太郎」という名前はあったのです。(*この指摘は奥富(2007)による)
「WIKIPEDIA」には「これら太郎、次郎といった名乗りのはじまりは、遠く嵯峨天皇の時代に遡る。嵯峨天皇が第一皇子以下に対して太郎、次郎、三郎といった幼名を授けたことに由来する」(「輩行名」2017.10.10参照)とあります。
いづれにしても、「太郎・次郎・三郎」という命名法は、平安初期に生まれ、武士の時代になって広まったと言っていいでしょう。
(3) [ー郎]という名前の意味
このように、[ー郎]というのは、武士の男子を表す名前として発展したものです。ですから[ー郎]という名前は、「1000年以上の歴史がある[日本男子]につけられてきた名前」と言っていいでしょう。
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