津田梅子は、本名が「むめ(うめ)」だったことは以前述べた通りです。9歳のとき、留学生として渡米するとき、宮中にあいさつに行き、そのときに「梅子」になったのです。
しかし、「梅子」は生涯「UME」でした。津田塾大学編発行『津田梅子文書』(1980)という本があります。そこには梅子の120点あまりの英文文書が載っています。そのすべてが「Ume」になっているのです。卒業生に贈った「Alumnae Report」のいちばん最後は、1929年7月です。その筆名も「Ume Tsuda」になっています。
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